マルボルク城

ポーランドの都市マルボルクにあるお城。

「マルボルクのドイツ騎士団の城」として

1997年に世界遺産に登録された。

手前に流れているのはヴィスワ川支流のノガト川。

 

中世要塞の古典的な例として、世界一大きな煉瓦造りの城であり

ヨーロッパ最大のゴシック建築として知られている。

 

最盛期当時は、ドイツ騎士団の高官60人が高城を居住とし

800人の兵士が中城、低城に住んでいた。

 

ドイツ騎士団の紋章
ドイツ騎士団の紋章

ドイツ騎士団は、12世紀にパレスチナを巡礼する信徒を守るために

組織されたカトリックの修道会。

 

13世紀前半にポーランドからの要請を受け、

バルト海沿岸地域の守備を行うようになった。

この頃の1274年に城の一次建設(当時はマリエンブルク城と呼ばれていた)が行われた。

 


武力によるキリスト教化を教皇に認められた騎士団は

半世紀以上をかけて原住民のカトリック化政策を行い

領土を広げていった。
何度か本拠地を失いながらも、マルボルクを首都とした騎士団は

ハンザ同盟都市と深く結びついて14世紀に最盛期を迎える。

 

しかしその残虐な制圧方法などにより

次第に主要都市の反感を買うようになり

1410年、ポーランド・リトアニア連合軍との大合戦

「タンネンベルクの戦い」に敗れ、衰退の一途をたどる事となる。

 

その際に敗走した騎士団員が城に立て篭もるが、

その後の決着はつかず、騎士団領はポーランド王国の支配下に入る代わりに、

マルボルク城はドイツ騎士団の居城として認められるようになった。

 

15世紀に入り再びポーランドと騎士団との対立により戦争状態となると

1457年、ポーランド王に城は明け渡される。

騎士団の残党は一掃され、第一次ポーランド分割が起こるまでの

315年の間にポーランドの歴代王が地方を訪問する際の居城として

増改築が盛んに行われた。

 

20世紀初頭に描かれたマルボルク城
20世紀初頭に描かれたマルボルク城

第二次世界大戦時の激しい戦いにより

城の大半が破壊されるが、その後ポーランド市民の手で

修復され現在の姿となっている。

 

ドイツ騎士団は現在もカトリック修道会として

約1000人の会員をもち存続している。


 

城の内部は博物館として、一般公開されている。


 

城の上から見た風景
城の上から見た風景
中庭
中庭
別アングル
別アングル
ポーランド‐マルボルクの位置
ポーランド‐マルボルクの位置

 

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